今はやっていないのですが、一時期くるったように好きな小説やエッセイを
まるまる全部、あるいは一部を写し書きしていたことがありました。
すごく手が痛くなったな。
きのう、ふとそのノートに書きうつした池澤夏樹さんへのインタヴューの一節を読みかえしました。
(ワタシのメモに依りますと『文學界』1993年8月号に載っていたらしいです)
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“小説家が、最初の一作の最初の一行を書き出すのが何故難しいかというと、
それが嘘だからです。作家が自信を持って紙の上に‘そこで彼は立ち上がって踊った’
と書くと、誰も立たないし踊ってないのに読者の頭の中では誰かが立ち上がって踊るのです。
このからくりは実は作家自身にもよくわからない。
だから最初はとても怖くて‘彼は立ち上がって踊った’と書けない。
それで皆自分に近いところから始めるのです。自分の物語なら事実であると錯覚するから。
だけどそれは結局、自分のありかたについての弁明や欺瞞にしかならない。
物語というのは自分の為、或いは誰かの為に書くのではなくて、それ自身の為に書くのです。
小説は小説自身の為に書かれるのです。作家はそれに奉仕する。
頭でわかっても感覚がついてこないから嘘が書けない、こんなことを書いたら嘘だと思われる、
と思ったのでは筆が進まない。
僕は35,6歳になるまでこの最初の嘘が書けなかった。
どんな事を書いても読者は信じてくれると信じることが作家の第一条件なのです。
作家の自覚というものはそういうものだと思う。”
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どんな表現にもこういうことがあるのかもしれません。
小説に限らず。
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コメント
コメント一覧 (2件)
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最近は最初の嘘が上手につける人が多い気がします
ここ数年 読みたい本が無いという状況が全く無いのです
新人作家の水準は年々上がってるように思います
ただ 惚れる作家は減ってる気もしたりして・・
書き出しの文章の大事さというのは大変なもので
漱石の「草枕」は冒頭は覚えていても内容はさっぱり覚えていないのですww
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なるほど~ (◎o◎)
確かに、池澤さんの年代よりも下の世代は
ちっちゃい頃から仮想世界に慣れているせいで
嘘をつくことに抵抗が少ないかもしれませんね。
それに、池澤さんは特別謙虚な性格のような気がしますし…
池澤さんの初期の『スティル・ライフ』あたりの短編には
ほんとに惚れていました。大好きです。
長編に移られてから遠ざかってしまいましたが…