もうご賢察のかたもおられるとおもうけれど
・・・・・・ 「あのルート」は美術館帰りの脳にはうるさすぎるのであった。
眼からはきらびやかな店頭の装飾、人工的な照明、
通路を囲む店舗の奥に陳列されたものの鮮やかな色彩が流れ込み、
(なるべく足元だけを見るようにしていたが遮断はムリだ)
耳からは某ショッピングモールを絶えず埋めるBGM、アナウンスが強制的に乱入しつづける。
(特に今回痛感したけれども、「某マークタワー」入口の音響はほんとうに… (以下略)。
なんであんなに美しくない音をやたらに大きい音量で流すのだろう?
なにかの強迫観念に駆られているように感じられて不気味だった。
前からあんなだったかな、エスカレートしているみたい)
優雅で虚飾に満ちた拷問。
というわけで
その道行きにおいて
脳内で反芻したい美術館の記憶は無惨に砕かれていったような気がする。
あの道を歩いたのは本当に失敗だった。
とくに今回は『松井冬子展』を観た帰りだったので、その悔恨といったら・・・
松井女史の描く世界は独特だ。
人間(=女性・雌)の心象、痛みというものについて内面へ内面へと視線を刺しこんでいき
観る者にも同じ体験をさせようとする。
暗く幽玄な色彩。
繊細な描線。
さらにワタシはひさしぶりに村上春樹氏の用いる『井戸を掘る』という表現を想起し
松井女史の作品を観ながらそういう行為をイメージして、潜っていたりしたのだが。
・・・だがだが。
人間のちっぽけな精神活動に対して
あの某スクエアに象徴される、
資本主義的なものがギュギューーーッと圧縮された人工空間の破壊力こそ
いみじけれ。
「どこでもドア」があればなぁ。展示をみたあと、眼と耳をふさいで「どこでもドア」を通って
家に帰れたら一番いいんだけどな。
今回は本当に懲りました。
リベンジ(?)のために、また同じ展示を見に行こうかと考えているトコロであります。。。
今後はY美術館からの帰りには某スクエア・連絡橋を通らずに某駅に
向おうとおもう。
多少道に迷っても、時間がかかっても、暑くても寒くても、
広い空のした海風に吹かれつつ、船を眺めながら脳内反芻して帰りたい。
とにもかくにも静かでまともな道で。
(トリ頭のワタシもさすがにもう忘れないよ!)
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コメント
コメント一覧 (2件)
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届きました ありがとうございます
圧倒的な美ですね
芳年とか暁斎とか江戸琳派の影響とか言って言えない事はないけれど
そんなものは疾うに消化しきって自己の世界を創り出してますね
図録でさえこうですから実物を目の当たりにしたら凄まじかったことでしょうね たしかに痛いかもしれません・・
この若さにしてこうですから将来的にどうなっちゃうんでしょうね
この展示 地方では危険かもしれません
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無事届いてよかったです。
「日本画」の形態をとっているのが松井女史の成功の大きな要因だとおもいます。
題材はあの通りなのですが、日本画であるせいで
とても静かで見やすいのですね。
これが油絵だったら濃すぎてちょっと日本では受け容れられないかも… と私見します。
それと、図録では確認できないのが残念ですが、
作品の表装 (掛け軸)、額装(額縁)もたいへんに!!素晴らしかったです。
それぞれ描き上げたあとにいったい何万掛かっているのか、というような…
ああいう額縁にはなかなかお目に掛かれないです。
成山画廊の力の入れようが伝わってきました (^_^;)