人形浄瑠璃 文楽について調べている時に思うこと

いきなりですが、今「文楽」と呼ぶところの「人形浄瑠璃」というのは明治以降の
呼び名なんですね。
それ以前は「操り浄瑠璃」「操り芝居」と呼び習わしていたようです。(豆知識)

しかし、操り浄瑠璃の歴史上の人物(江戸時代)、名前変わりすぎです。
しかもそれぞれ似ている…
生まれたときの名前もあれば芸名としての「●太夫」もあって紛らわしくて
その「●太夫」が「△太夫」になったり、偉くなったら称号を受領して
丹波掾(たんばのじょう)になったり。丹波掾もいれば丹波少掾もいたり、
筑後掾、肥前掾出羽掾土佐少掾飛騨掾出羽掾も何人もいるし
おなじ名前で2代目がいたりします。

大坂(江戸時代なのでこの表記)から江戸に下ったりまた上方に帰っていったり…
わたしは外記座のことが知りたくてあれこれ調べてもよくわからないのでちょっと思案中。
まぁ、ちゃんとした資料がないということは、
好きなように考えてもいいんだよ、ということだったりして有難いのですが。

カリスマ人形遣いの辰松八郎兵衛のこともすごく知りたいのに
よくわからない人だったりする…  あとをついだ弟も謎の人物…
いつの時代も記録魔の人間が熱心に書き残しているのかとおもったら。
カリスマでも意外と記録に残っていないもんなんですなー

東京大空襲などで資料焼失しているのかとおもったら
昭和の初めに刊行された研究書でも「不明」、という記載があったりするので
江戸時代の大火事でいろいろと記録が焼けちゃってしまったのかもしれません。

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